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大阪高等裁判所 昭和61年(う)370号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人並河匡彦、宇賀神直、海川道郎、河村武信、上山勤、岩嶋修治、田中庸雄、早川光俊、石川元也連名作成の控訴趣意書及び控訴趣意書補充書並びに被告人作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官大谷晴次作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、訴訟手続の法令違反、原判決の事実誤認及び法令適用の誤りを主張するにあるので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討し、以下のとおり判断する。

一  訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、弁護人及び被告人は、検察官が主張する、被告人がAの背後から、同女の肩付近を手で突き飛ばし、その衝撃により、同女の顔面をモルタル壁に打ち当て、続いて氏名不詳者二名と共に、同女の背後から体当たりし、その衝撃により同女の顔面、鼻をモルタル壁に打ち当てたという事実を中心に、被告人は同女にそのような暴行を加えたことはないとして争ってきたものであり、もし原判決認定のごとく、被告人らは他の者と共謀した事実がなく、かつ検察官主張にかかる暴行がなくとも、被告人が単独で、Aの肩付近を一回突き(なおこの点は問題ではない。)、勢いあまって同女の身体におおいかぶさるように倒れかかったことにより、同女をその場に転倒させ、同女の顔面をモルタル壁に衝突更に擦過させるという態様により有罪になり得ること並びに顔面打撲傷の訴因に対し、(同女が首を振ったため生じた)前額部・左頬部各擦過傷の他(同女の手指の爪先が接触したため生じた)左鼻根部挫傷が認定される可能性が審理の過程でうかがい知り得たならば、被告人側は更にその点に関しても防御を尽くす余地が十分あったものであり、従って、原審がこれに配慮することなく訴因変更手続を経ないまま原判示事実を認定したことは、被告人側にとっては不意打ちであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反をおかしたものである、というのである。

そこで、訴因変更手続の要否について検討すると、起訴状記載の本件公訴事実の訴因は「被告人が、………ほか数名と共謀のうえ、Aに対し、背後から突き飛ばし体当たりして同女の顔面を路傍のモルタル壁に打ち当てる暴行を加え」たというのである(かつ、検察官は冒頭陳述で、「………同女の背後から、同女の肩付近を突き飛ばし、その衝撃により、同女の顔面を右モルタル壁に打ち当て、続いて、氏名不詳者二名もこれに加わり被告人と共に、同女の背後から体当たりし、その衝撃により同女の顔面、鼻を右モルタル壁に打ち当てた。」と検察官が具体的に立証対象にする事実を明確にした。)。これに対し、原判決は、被告人が「同女の背後から肩付近を一回突く暴行を加え、勢い余って同女の身体におおいかぶさるように倒れかかったことにより、同女をその場に転倒させて、同女の顔面を前記『花束』建物のモルタル壁に衝突更に擦過させるなどし、………」という事実を認定している。即ち、原判示の事実は、本件の行為主体に関して、被告人と他の二名との共謀事実は認めないで、被告人の単独行為によるものと認定し、また暴行の態様に関しては、被害者の肩付近を一回突く行為とそれに引き続き被害者の身体におおいかぶさるように倒れかかり、その結果、被害者を転倒させて、その顔面を『花束』建物のモルタル壁に衝突、擦過させた行為を認定して、行為主体及び被害者が受傷するに至った過程という重要な点に関し、訴因と異なった認定をしていることが明らかである。右行為主体の相違(被告人と他の二名との実行共同正犯による犯行とされるか、被告人の単独犯行とされるかの相違)は勿論のこと、その受傷の原因となった暴行態様(以下これを便宜上受傷過程という。)についても、本件は被害者Aと被告人とが、極めて至近距離に位置し、一連の経過の中では客観的に見て何らかの暴行が存在しても異としない緊迫した状況の中で発生した事件であるところ、Aが被告人による暴行の事実を訴える一方で、被告人は、Aの受傷につながる暴行の事実を一切否定しているのであるから、その訴因とされた傷害の原因となる暴行態様の如何は、実行共同正犯者の有無とも密接に関連して、被告人にとって重大な防御対象であったと言うべきである。すなわち本件における犯行主体の相違も含めた受傷過程についての相違は、犯行態様の単なる表現上の相違というにとどまらず、被告人の刑事責任の有無そのものに関する主張、立証の要否、方法如何にも影響を及ぼすものと考えられる。従って、訴因として明示された暴行態様によっては被害者の受傷過程は認められず、それとは異なる態様の暴行による受傷過程がうかがわれる場合には、被告人側の防御が訴因に示された暴行事実の存在しないことに向けて反証活動をしていたものであることにかんがみ、防御対象たるべき受傷過程を明示し、訴因変更手続を経るか、あるいは少なくとも争点として顕在化させたうえで十分な攻撃、防御の機会を与え審理を遂げる必要がある。原審における審理の過程に照らすと、検察官は訴因をさらに敷衍する形で冒頭陳述により、前記のとおり、被告人が被害者の肩付近を突き飛ばし、その衝撃により同女の顔面をモルタル壁に打ち当てた暴行のほか、続いて氏名不詳者二名が加わり、被告人と共に、同女の背後から体当たりし、その衝撃で同女の顔面、鼻を右モルタル壁に打ち当てたとの暴行により同女に加療約五日間の顔面打撲擦過傷の傷害を負わせたことを立証の対象として具体的に明示し、原審第五二回公判期日における証拠調終了後の意見陳述の際も、訴因どおり、被告人がAの背後から同女の肩付近を手で突き飛ばしたほか、更に被告人と行動を共にしていた赤旗宣伝隊の者二名が、被告人と共に体当たりして、同女の顔面をモルタル壁に衝突、接触させたことが立証されたものと主張し、他方被告人側の反証活動も終始、そのような態様の暴行が存しないことを中心に展開していたことが認められ、もし原判示事実が訴因とされたならば、被告人側としては、なお、被告人が肩付近を一回突く暴行(なおこの部分については、訴因と認定事実の間にずれはないと考えてよい。)の後、勢い余って同女の身体におおいかぶさるように倒れかかった事実の有無及びそのことによる同女の転倒があり得るかなど防御の範囲、立証の重点の置き方などに相違があったものと推測される。

それにもかかわらず、原審は、何ら原判示事実に添うてその存否に関して防御する機会を与えることなく、審理を終結し判決に至ったもので、原判示のような事実認定は被告人側にとってはもとより、検察官側にとっても訴因、冒頭陳述及び証拠調終了後の意見陳述の内容から推して予想外の認定であったものと言わなければならない(原判決は、訴因変更手続を経ないまま共同犯行の訴因に対し単独犯行の事実を認定した理由については、(受傷過程に関して)訴因が実行共同正犯を主張し、本件の争点がもっぱら被告人の実行行為及びこれによる結果発生の有無に置かれていた審理経過に徴して、右手続を経ることは不要であると判断した旨説示する。しかし、本件では訴因によって主張された犯行主体の変更は、そのまま被告人自身の犯行態様如何に影響する場合である。即ち仮に単独犯行とするならば、検察官にとってはそのような場合であるとしてもなお訴因で主張しているとおりの傷害の結果が発生しうることを主張立証する必要が生じることはしばらくおくとしても、被告人側からみると、単独犯行とするならば訴因どおりの傷害の結果が発生しうるか否かの点に防御の対象を設定しなおして反証活動をする必要が考えられる場合であるから、当裁判所としては、原判決の右見解に賛同することができない。)。従って、原審が訴因変更手続を経ることなく、あるいは少なくとも争点として顕在化して防御の機会を与えることなく、訴因とは異なる原判示事実を認定したことは、結局、訴訟手続を誤ったものと言うべく、その違法は判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よって、その余の控訴趣意(事実誤認、法令適用の誤り)に対する判断をするまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄する。そして、本件は、起訴以来今日まで約一〇年余の長年月を経過し、かつ原審及び当審において必要と思われる事実の取調べは尽くされていることにかんがみ、同法四〇〇条但書により、当裁判所において自ら判決するのを相当と認める。

二  本件公訴事実は、起訴状記載のとおりであるが、まず本件公訴事実に示された事件に至るまでの経過を証拠によって検討し、次いで各証拠の内容につき検討を加えることとする。

1  本件公訴事実に示された事件に至るまでの経過

関係各証拠によると、本件公訴事実に示された事件(以下本事件という。)に至るまでの概要は次のとおりである。

(一)  被告人は、日本共産党の後援者であるが、大阪府知事選挙投票日前日である昭和五四年四月七日午後、同党支持者の集合場所である大阪市南区内の谷町六丁目にある通称谷町センターに集まり、地下鉄心斎橋駅入口周辺で宣伝活動(グリーン作戦、当日は、同月五日、国際勝共連合(以下勝共連合と略称する。)が思想新聞号外を配付して日本共産党に対する批難宣伝をしたことに対し、勝共連合の実態等を府民に知らせるという目的で行った。)を行うため、同所に集まったB、C、Dと共に四人でグループ(いわゆる赤旗宣伝隊)を編成し、ハンドマイク一基を携帯して、勝共連合を批判する内容を掲載した宣伝ビラ(「赤旗号外」)を持ち、午後三時ころ右センターを出発し、空堀商店街、松屋町筋、堺筋を経由して、右心斎橋駅方面に向かい西進した。

(二)  右赤旗宣伝隊は途中前記宣伝ビラを通行人に配付したり、ハンドマイクを使用して勝共連合に対する批判演説を繰り返す等の宣伝活動をしながら、大宝寺小学校西交差点(以下、大宝寺交差点という。)東方の勝共連合大阪本部事務所がある大阪中華総会ビル(大阪市南区〈住所省略〉)前付近に至ったとき、同事務所内にいた右勝共連合に所属する者(以下勝共連合構成員という。)数名がこれを聞きつけ屋外に出てきて、右赤旗宣伝隊に対抗するため、同ビル付近から大宝寺交差点に至る間の路上でハンドマイク二基を使用して、日本共産党に対する批判演説をし、そのため右ビル付近から大宝寺交差点に至る間の道路では、右赤旗宣伝隊と勝共連合構成員の両グループ間で互いにハンドマイクを使用した誹謗演説の応酬が行われ、赤旗宣伝隊は進行が困難になり、右大宝寺交差点周辺は、連絡を聞いて前記センターから急ぎ応援に駆けつけた数名の共産党支援者が加わり、近隣住民らも多数出てきて見物する中で、騒然とした状態になった。

(三)  Aは、勝共連合構成員であり、右中華総会ビル四階にいたが、右赤旗宣伝隊の到来を知り、同ビル内の勝共連合事務所から日本共産党を批判する内容が掲載された昭和五四年四月五日付思想新聞号外(勝共連合機関紙、以下号外という。)五〇部位を持って、勝共連合職員であるEらと日本共産党を非難する言葉を繰り返しながら、大宝寺交差点付近で右号外を配っていた。

(四)  大宝寺交差点で行われたハンドマイクによる喧騒な応酬の継続中、近隣住民から抗議があったので、被告人らの赤旗宣伝隊はハンドマイクを使用することを中止し、シュプレヒコールにより勝共連合のハンドマイクによる攻撃に対応していたが、勝共連合構成員の一人がなおもハンドマイクを使用して誹謗攻撃を繰り返していたことに対し、大宝寺交差点西側付近で一人の男性が右勝共連合構成員に抗議し、両者間で押し合いがあり、その際一時右交差点付近はマイク音が途切れ、静穏な状態になった。

(五)  被告人は、赤旗宣伝隊の前記D及びBらと共に右交差点北西辺にいて、右両者の押し合いに目を注いでいたが、おりしもDが、一人の勝共連合の女性(A)が右交差点から約二〇メートル位南方路上(後記『花束』の向かい側から二、三メートル南、南北道路の東側)で、号外を配付し続けているのを見て、被告人に「あんなとこでまたビラまいとんど」と告げたところから、被告人は早足で同女の方に向かって歩き出し、Dもこれに続き、前記Bも南の方に進んだ。

(六)  Aは、大宝寺交差点の南北に通じる道路の東側を右交差点から南に進んで、騒ぎを見物している人に号外を配付し、人が途切れたところで反転して、同道路西側を北に向かい料理旅館『花束』(大阪市南区〈住所省略〉所在、以下『花束』という。)付近に来た。

(七)  Fは、『花束』の従業員であり、本件事件前は右店舗内にいたが、屋外でのマイクによる喧騒状態に気付き、『花束』の女主人や他の従業員(板場)男性と右店舗から出て、女主人と二人で大宝寺交差点からやや東方の大宝寺小学校手前付近まで、喧騒の状況を見に行って、再び『花束』付近まで戻ってきたとき、丁度前記のように『花束』付近にやって来たAが同女にビラを配付しようとした。

2  本件暴行の存否について

本件起訴にかかる傷害の原因とされる被告人及びその他の共犯者の暴行の存否を判断するための主要な(人的)証拠は、証人F(原審)、同A(原審及び当審)、同E(原審)、同C(同)、同D(同)、同B(同)、同G(当審)の各証言及び被告人の原審及び当審における各供述であるところ、中でも証人F、同A、同Eの各証言が、本件公訴事実を立証するための最も主要な証拠ということができる。わけても相対立する両グループの構成員間で発生した本事件の特徴にかんがみると、右各証言の中、両グループとは無関係の立場にある目撃証人Fの証言が本事件解明に関し枢要な位置を占めるものと見られるのでまず同証言を中心に検討を加え、続いて証人A、同Eの各証言について検討する。

(一)  原審証人Fの証言内容

原審証人Fの証言の要旨は、同証人は、前記のように、勝共連合構成員と赤旗宣伝隊員との間で発生した喧騒状態を見るため大宝寺小学校付近まで行った後『花束』に戻ろうとして、『花束』の建物北東隅の本件モルタル壁前路上付近に来たとき、大きな声で日本共産党に対する攻撃的発言をしながらビラ配りをしていた一人の女性(A)が、右手をのばしてFにビラ(前記号外)を手渡そうとしたが、その際、大宝寺交差点からガレージ(『花束』の北隣建物)側沿いに走ってきた一人の男性(被告人)がそのビラをたたいて落とした、女性はビラを払いのけられたときに体がかわった、壁の方に向いた格好で横向きになった、ビラを払いのけられたときに手で突かれそのときに体がかわったように思う、体がかわってからはあまり記憶にない、溝に足を突っ込んだ感じで体がかわったのではないか、左脇に持っていたビラの束はそのときに落ちたのではないか、女性の体がかわった原因は、間近くから男性が肩のへんをどんと突いたから、ビラを落としたあと体がかわり、かわった瞬間に男性が突いたと思う、男性はビラをはたき落とす前に、「そんなものをもうたらいかん」というようなことを言った、女性はビラをはたき落とされたときに溝(土塀)のほうに向きがかわったように思う、そのあと肩を突かれたと思う、ビラを渡そうとしていた人はどっちかと言えば北寄りを向いていた(なお、女性が土塀の方に向いた理由はなにかとの質問に対して、「突かれたから」と供述し、また向きがかわった後、肩を突かれたという前記供述との違いを指摘され、瞬間のことでそこまではっきり記憶ないと供述した。)、男性は女性の右肩甲骨のあたりを突いた、女性は肩を突かれて、両手と肩と同時に、その塀に持っていったと思う、女性の立っていた位置は壁から五〇センチメートルも空いていない、女性は肩を突かれた反動で顔から手、ダアーッと持っていった、溝に足を入れたと思う、足が溝にはまるのと顔と両手を壁に持っていくのとは同時ではないか、手で顔を支える感じだった、女性が壁に手と顔を持っていったとき、なんかドンという音がした、壁に手をつくときは(左手にかかえていた)ビラは下に落ちていた、(男性が女性を突いた後の行動として)女性と同体くらいに、パアーッと倒れるような格好になった、肩を突いた瞬間、女性が倒れたから、それと同時に男性も倒れるような形になった、同体になった後、男性は女性から離れて、逃げようとした、女性は男性の後ろから背中(服の上着の後ろのすそ)をつかんだ、男性は北の方を向いていた、女性は半分起きたような状態で、片手だけでパッとつかんだ、早かった、女性は「この人が暴力を振るったんだ」とものすごく大きな声で言った、ののしるような言い方だった、男性は振り切って離そうとした、人をかきわけて逃げようとした、多くの人が寄ってきた、女性が男性に二メートル位ついて行った時点で、自分は『花束』内に入った、ビラをたたき落とした男性が、その女性めがけて体当たりすることがあったか、という質問にたいして、「ないです。」と否定し、その男性以外の人が、その女性におおいかぶさっていくような形はなかったかとの質問には、「記憶にない」と答え、また男性がビラをたたき落とした後、その男性が女性から離れていくまでの間、別の人達がその女性に、上からかぶさるというような行動はなかった、というのである。

以上F証言の大要は、AがFに号外を配付しようとした際被告人がそれを払い落とした、次の瞬間Aが本件モルタル壁方向に体の向きをかえた、(前後関係は明瞭ではないが)そのころ被告人がAの右肩甲骨付近を突いた、Aはモルタル壁に顔と手を持っていったというにある。ところで同証人は、本事件の状況を至近距離(同証言によれば約五〇センチメートル)で目撃したものであり、その供述態度に意図的、積極的な虚偽性及び作為性は存しないといってよい。しかしながら、他面本件傷害事件は、同証人にとっては予期しない突発的かつ瞬間的な出来事であり、その目撃状況の正確性についてはなお他の証拠とも比照して吟味することが必要である。

(二)  Aの原審及び当審における証言内容

Aが、被告人から本件モルタル壁付近で本件暴行を受けたとして証言するところは、概ね次のとおりである。

Aは、勝共連合事務所方向から大宝寺交差点に来て、同交差点内を北東角のユニード大山からオリタクロージング(東南角)、モータープール(南西角)、大質ビルスリーセブン(北西角)を結ぶ経路を前記号外を通行人らに配付して、右回りに一周し、つづいて同様に右回りにモータープール前にきて、『花束』の角から四メートルぐらい北付近に来たとき同交差点北西角付近にいた共産党の人三人が、形相をかえて、自分の方に向かってくるので、逃げようとして南に向かった、背の高い人がものすごい形相で非常に早いスピードで向かって来て、二人が後をつくように割合ゆっくり来た、自分に危害を加えるために来たと思った、逃げようとしてモータープールと『花束』の境目辺りに来た地点で、共産党の男性に体当たりされた、南に移動する際、回りの人達に対し、「警察を呼んで欲しい」と言った、私をめがけて走ってきた男性が私の背中に体当たりした、そのために『花束』の角にあるモルタル壁に顔と足を打ちつけられた、体当たりされる直前は、『花束』の壁の方向に向くようになっていた、形相を変えて向かってきた男性の上半身がぶつかったと思う、背中全体に当たった感じがする、体当たりされてそのまま『花束』の壁にぶつかった、立っていた体が斜めになって背中に体当たりしてきた男性の重みをそのまま感じて壁にぶち当てられた、足はあまり動かないで、上半身が倒れていくような格好だったと思う、モルタル壁に当たるとき手でモルタル壁をつくとか支えることはできなかった、モルタル壁にぶちつけられたのは一回である、モルタル壁に当たった後、すぐに、右手を後ろに回して体当たりしてきた男性のヤッケの前面をつかんだ、重なってきた男性の体重が自分の背中からなくなったとき体を向き直した、その男性は被告人である、被告人以外の二人は顔が壁に当たって見ることはできなかったが、被告人に体当たりされ壁に体がくっつけられるようにして、その上にそのまま被告人がぶつかった状態のままでいたとき、二人くらいの体重が自分の背中にかかってきたように感じた、体重がかかったその二人くらいの人には気がつかなかった、被告人をつかまえたまま「こいつがやった」と何度も叫んだ、被告人は逃げようとした、壁に押しつけられたままの状態のときにさらに重みを感じた、誰かがまたその上に乗ったか何かしたかと推測した、他の二人は体当たりではない、体当たりされ更に重みが加わった状態は数秒というより数十秒と言っていい、一方『花束』とモータープールの境目の地点に来てから体当たりされるまでの間、体当たり以外とくには覚えていない、同地点に来てすぐ体当たりされた、同地点で号外を配付しようとしたことはない、左脇にかかえた号外を奪われまいとして、体を中に、西の方にいれる形になった、右回りになると思う旨の証言をし、当審第五回公判では、『花束』前で女の人に号外を手渡そうとしたかどうか記憶がない、自分が北から北東の方を向いているときに交差点から被告人がものすごい勢いで走って来たので、形相を見てびっくりして暴力を振るわれると思い、『花束』のモルタル壁の方に向きをかえた、被告人はラグビーのタックルみたいに思い切り体当たりしてきた、自分の背中に体全体がぶつかってきた感じがした、被告人は止まらなかった、体当たりされて、モルタル壁の突出した部分に顔(額、鼻、頬)と足が当たった、モルタル壁にぶつかったのは一回である、顔は壁に押しつけられてかばうことも出来ない状態だった、体当たりしている男性の体が自分の背中にくっついている状態になっているとき、その男性が逃げないようにするためその男性のジャンパーの前を後ろ手でつかんだ、向き合うようになってから、「こいつがやった」と何回も叫んだ、(一目散に逃げるというようなことはしたことはないかの質問には、「はい」と肯定した。)、体を壁の方へ向けた後すぐ体当たりをされたと思う。

(三)  原審証人Eの証言内容

原審証人Eは、勝共連合職員であり、本事件前、前記中華総会ビル四階にいたが、赤旗宣伝隊の到来を知り、同ビル一階の事務所から前記号外を持ち、これを配付しながら大宝寺交差点に来て、被害者Aと同様同交差点で号外を配付し、本事件を同交差点東北角ユニード大山前歩道付近から目撃していたものであるが、本件暴行に関して証言するところは概ね次のとおりである。

Aは、二、三人に追いかけられて一目散に走る感じで、同交差点内から南の方、本件モルタル壁付近まで行き、同所で、三人の中の一人が体当たりするようにして、同女を壁におしあてた(ぶつけた)、三人のうち一人は先頭でグリーンのジャンパーを着ていて、一メートル位の間隔を置いて追いかけた、その先頭の人は被告人であり、体当たりする感じでAの背中に当たった、Aは壁の方を向いていた、Aはよろけて、壁にぶちあたって、そしてよろけて、その瞬間この男性を逃がすまいとして、最初ジャンパーをつかんで、そのすぐあと手をしっかり握っていた、Aは、男性達がついてくるのを知っていて、号外を取られまいとして南に下っていった、壁の前でAは止まっていない、Aは号外を配付しようとしてそれをうしろから追っ掛けてきて妨害されて、号外が配れない状態で、号外を取られまいと走っていたと思う、Aが壁の方に顔を向けたのは被告人がAに体当たりをしたからである、壁の前付近でA自身が立ち止まったことはないと思う、グリーンのジャンパーを着ていた男性は壁の前付近で追いついて、すぐ(Aは)壁にむかって体当たりされた、追いつかれたときAはどっちを向いていたか覚えていない、被告人は追いついてすぐ体ごとAにぶつかっていった、体当たりは被告人が最初、続いて後からきた二人も体当たりをしたのを見た、Aは最初被告人に体当たりされ、壁にぶちあたりよろけているところを後の一、二名に当てられた、脇にかかえていた号外の束を体当たりされる前に被告人かその後に続く男性に取られたと思う、Aが壁の前付近で号外をそこにいる人に配付しようとしたのを見た覚えはない、Aが「こいつがやったんだ」と一〇回位繰り返し言っていたのが聞こえた、Aは最初体当たりされてすぐジャンパーをつかんで、「こいつがやったんだ」と言って叫んでいた、あまりにも逃げる勢いが強いので今度は手をつかんで「こいつがやったんだ」と言っていた、倒された瞬間はしゃがんでいたが、手をつかむときは立っていた。

(四)  以上三証人の証言に基づき、まず被告人がAに接近して本事件に至るまでの概要につき検討してみると、証人A及び同Eの各証言によると、Aが被告人から加えられたとする暴行は、同女が同交差点から南方向に向け、被告人及びその他一、二名の男性に追跡され、本件『花束』のモルタル壁付近で被告人に追いつかれ、同人に後ろから背部付近に体当たりされ、それにより同女は右モルタル壁に顔と足を打ちつけたというものであり、その際同女が『花束』前付近では号外を配付しようとしたことはなく、モルタル壁付近で被告人にすぐ体当たりされたというものであって、一応公訴事実記載の暴行に添う内容といいうる(但し、両証人の証言では、被告人がAを突き飛ばしたという供述はない。)。しかしながら、本件暴行にいたる経緯について、右A及びEの各証言(両証言)には、次の点で疑問がある。

すなわち、(1)右両証言によれば、Aは同交差点方向から南に向かい、被告人に追いかけられたというのであるが、Aはその際、共産党の男性(被告人)がAの方へ形相をかえて来た、Aは身の危険を感じて南に逃げた、また「警察を呼んでほしい」と言いながら移動したと言い、被告人らによる加害行為の緊迫性及びその際の恐怖感を述べる。しかし、前記F証言から明らかなように、Aが被告人と出会う時点でFに号外を配付しようとしたことは否定しがたい事実である(証人Fによると、被告人が号外をはたき落とす前に、「そんなものもうたらいかん」というようなことをいったと述べ、被告人も「受け取らないでください」と叫んだと述べ、号外を払い落とす時点の供述内容はこの両者では符合している。後記Cの証言も同様である。)。この事実に関し目撃した位置がやや離れているEはともかく、A自身配付しようとしたか否か記憶がないというのは不自然である(なお、Aの昭和五四年五月一〇日付検察官に対する供述調書抄本によれば、号外を配付しようとしたこととこれを払い落とされたことを供述している。)。証人Cの証言によれば、Aは、赤旗宣伝隊から、違法ビラをまくなと言われつつもこれを無視して号外を配付していたものであり、被告人が向かってきたことで果たしてその供述するような強い恐怖感を抱いたものか否かは計りがたいが、仮にAがその供述するような危急の場面に臨んでいたとすれば、なおかつこのような配付行為を行う時間的及び心理的余裕はなく、更にまた同交差点北西角にいた被告人が前記のような状態で自分に迫ってくることを察知したというならば、それから逃れるためのより適切な行動すなわち本件モルタル壁方向以外の他の方向に逃れる余地は十分あったと思われるが、現実にA自身はそのような方法を取っておらず、かえって退避の妨げとなるようなモルタル壁に向くという行動に出ているのであって、その点証言内容と現実にとった行動とがそぐわないという印象を拭いきれず、果たしてAが強調するような形態で被告人が同女を追いかけたといいうるか否か疑問なしとせず(また、右Fも、女性(A)が、交差点の方から『花束』の方に走ってくる様子ではなかったかとの質問に対し、「なかった」と証言している。)、被告人がAに接近するまでの状況に関する右A及びこれと同趣旨のE証言の内容を全面的に措信することはできないといわざるをえない。

(2) 次に、Aが本件モルタル壁の方に向いたとする点に関して、同女の前記証言によれば、自分をめがけて走ってきた被告人が背中に体当たりした、その直前は『花束』のほうに向いていて体当たりされてそのまま本件モルタル壁にぶつかった、あるいは被告人がものすごい勢いで走ってきたので、びっくりして暴力を振るわれると思い、本件モルタル壁の方に向きをかえ、その後すぐ体当たりされたと述べ、またE証言によれば、Aは二、三人に追いかけられ一目散に走る感じで本件モルタル壁付近まで行き先頭の人が体当たりする感じでAの背中に当たった、Aは壁の方を向いていて、よろけて壁に打ち当たった、Aは壁の前で止まっていない、グリーンのジャンパーを着ていた男性(被告人のこと)は壁の前で追いついてすぐ壁に向かって体当たりした、と述べている。右両証言の一致するところは、Aは被告人に追いかけられたが、本件モルタル壁の辺りで被告人に追いつかれ、モルタル壁の方に自分の体が向いているところを体ごとぶつけられた結果モルタル壁にぶつかったというものであり、被告人に体当たりされる直前に対峙した(向き合った)状況(したがってその後Aが自己の意思でモルタル壁の方に向きをかえた状況)はないという趣旨に解される。しかし、前記F証言によると、AがFに号外を配付しようとして被告人にこれを払い落とされた次の瞬間、Aが本件モルタル壁の方向に向きをかえたというものであって(もっともF証言は、被告人がAの右肩甲骨付近を突いた行為の存在を前提に、その行為後Aが向きをかえたともいう。)、被告人の行為(右肩甲骨を突く行為も含めて)の結果、物理的、必然的にAがモルタル壁に向いたというのではなく、被告人の号外を払い落とす行為の次にAが自らモルタル壁の方に向きをかえた旨供述するところである。すなわち、同証言はAがモルタル壁と接触する直前、Aが意識的に自ら向きをかえた行為があったことを示すものであり、前記A、E両証言の内容とは重大な相違が存する。F証言は、Aがモルタル壁の方に向きをかえたことは明瞭に供述し、この状況は後記証人C、同D、同Gの各証言や被告人の供述とも符合するものであり、右A及びEのこの点に関する各証言内容はにわかに措信しがたい。

(3) A及びEは、本件モルタル壁付近でAは被告人に体当たりされ、壁に押し当てられた旨証言する。しかしF証人は被告人の体当たりがあったこと、被告人がおおいかぶさっていったことを明瞭に否定している(もっとも、女性と同体くらいに倒れるようになったとも述べ、両者が接近したことは肯定するが、また同体になった後男性は女性から離れて逃げようとしたとも述べ、押し当てた行為が継続したことを推認させる供述ではない。)。さらにE証言は、被告人がAに体当たりした後、続いてあとから来た二人もAに体当たりをした旨述べるが、A自身は、被告人に体当たりされモルタル壁に体がくっつけられるようにしていた際、二人位の体重を背中に感じたとは述べるものの、その後被告人をつかみ、振り向いているのにその二人を現認していないし、F証人も被告人以外の人間がAの上にかぶさったことは見ていないというのであり、この点でEとA及びFの各証言内容に相違が存し、結局、被告人の体当たり及び被告人以外のものによる体当たりの事実は右三証人の証言からは認めることができないといわなければならない。

(4) A証言によると、Aは被告人からモルタル壁に押しつけられているとき被告人のジャンパーの前の部分を後ろ手につかみ、次に被告人と向かいあい、つかまえたまま、「こいつがやった」と何度も叫んだというのである。この点は右F、EのほかC、Dの各証言が一致し、被告人もこの事実を認めている。ところでAのこのような行動は、同人が述べるその行為に及ぶ直前の経緯に照らすと、理解しがたい行動といわなければならない。すなわち、前記のようにA証言によれば、Aは被告人が自分に接近してくることに対してとっさに暴力を振るわれると思い、恐怖感に近い感情をもって、しかも「警察を呼んでほしい」と叫んで救助を求めながら逃げようとしたというのであるが、そのような心理状態にあるものが、Aが述べるようにモルタル壁にぶつけられるという暴行が終了しないうちに(しかもA証言によれば、手を壁に当てて顔面を守ろうとする行為に出ることすらしないで)、衆人環視のなか、一転して即座に後ろ手に被告人の衣服をつかみ、その後は被告人にしがみつきその逃走を防ぐ行動に出て、最終的に警察官によって離されるまで、終始被告人を離さず、被告人に対する敵意をあらわに示し、むしろ攻撃的ともいえる状況であったことはきわめて異様と考えられる。

以上検討したところからみると、右A及びEの各証言は、F証言とも重要な部分において相違し、またそれ自体にも疑問点を有し、その証言によって被告人のAに対する体当たりの暴行が存したとするにはなお合理的な疑いを容れる余地が残るといわなければならない。

(五)  そこで、つぎに原審証人C、同D、同B、当審証人Gの各証言並びに被告人の原審及び当審における供述を検討する。

(1) 右Cは、本件交差点の東南角オリタクロージング付近にいて、被告人が『花束』方向に行くのを目撃したものであるが、勝共連合の女性(A)がビラ(号外)をまいて南北道路を南の方に行き、人がとぎれた所で同道路の西側に渡り『花束』のほうに北上し、『花束』の入口にビラを一枚入れ、北に向かい本件モルタル壁前付近の路上に来た、そこに三人位の女性(赤旗宣伝隊と勝共連合のやりとりを見ていた人)がいて、Aはビラをそのうちの一人に配付しようとした、被告人は交差点北西角から『花束』方向に小走りの状態で来て、「違法ビラをまくな」などと叫びながらAに近づき、右三人位の女性に「受けとらんでください」ということを言って、Aが差し出したビラを右手でたたき落とした、そのときAはちょっと西向きで北の方に向いている状態(被告人とAは大体向き合う格好である。)であったが、ビラがたたき落とされた感じがしたとき、くるっと西の方(『花束』の壁の方)を向いた感じで、次の瞬間には「こいつにやられた」と大きな声をあげ、右手で被告人のジャンパーの右すそを後ろ手に握った状況が見えた、更に次の瞬間二、三人の男が「逮捕せい」といって被告人に飛びかかり、被告人は尻餠をついた感じだった旨証言する。

(2) また右Dは、交差点の北西付近で、モータープール(大宝寺交差点南西角から西二軒目位の所にある。)から出てきた男性が勝共連合の男性に激しく抗議する状況を見ていたが、交差点から南二〇メートル位の所でビラをまく女性(A)をみて、被告人が早足で同女の方向に向かったので、自分もその後をついていき本事件を目撃したものであるが、Aは『花束』の入口付近でビラを一枚投げ込んで、『花束』の北の端にいる見物人二、三人にビラを渡そうとした、そのとき被告人はAと出会うような形でその距離は一メートル位であったが(自分は被告人の二、三メートル後方)、Aがビラを南側にいる人に渡そうと手を差し出したとき、「違法ビラをまくな」とか、「受け取らないで下さい」などと言って、被告人が右手でビラをはたき落とした、そうするとAは『花束』の方向(西向き)に体の向きをかえ、低い姿勢(腰を少し落とし、足を少し曲げる感じ)になり、すぐ被告人の衣服の前の所を右手で後ろ向きにつかんで、「こいつが暴力振るった」というような大声をあげた、その後二人位の男が左側を走り抜けて、被告人に飛びかかった旨証言する。

(3) 右Bは、被告人、Dと、交差点北西角付近で勝共連合の男性とモータープールから抗議に出てきた男性との前記のやりとりを見ていたが、被告人とDが、自分のそばから離れて、勝共連合の女性がビラをまいているのを止めにいったのは気付いていたが、その後金切り声で「暴力ふるわれた」といっているのを聞き、自分もその方向にいった旨証言する。

(4) 右Gは、前記赤旗宣伝隊の応援要請を受けて谷町センターから四、五人で大宝寺交差点に来て、他の仲間と共にシュプレヒコールで勝共連合に対抗し、本事件直前は右交差点北西隅付近にいて、前記モータープール前での勝共連合の男性と抗議の男性とのやりとり及び被告人及びDがAに近づき、被告人がAのビラを払い落とした状況とその後警察官が来るまでの状況を目撃したものであるが、本事件に関し、勝共連合の女性(A)が中年の女性にビラを渡そうとしたとき、被告人がそれをはたいた、Aが急にしゃがむような形で向きをかえ、いきなり被告人のヤッケの前をにぎり、「こいつが暴力をふるった」と大声で怒鳴りはじめた、そうしたら急に男性が二人被告人の方にすごい勢いで駆けつけた感じで、被告人を抑えつけるようになった、Dは被告人の二、三メートル位後ろにいた、自分も駆けつけて、勝共連合の男女から被告人を引き離そうとした、Aは被告人の右の二の腕を両手でつかんでいた、二人の男性は被告人の後ろの方から抑えつけるようにしていた旨右Dとほぼ同様の証言をする。

(5) そして、被告人はこの間の事情につき、要旨次のように供述する。

交差点北西角辺り(大質ビルスリーセブンの角)で、前記モータープールから出て来た男性が勝共連合の男性に抗議した、勝共連合の男性が胸倉をつかまれて押されるような状態を見ていた、左にD、右にBがいた、そのときDが、「あいつビラ配っとる」というようなことを言ったので(視線をそちらへ向けると)、交差点の南の方二〇メートル位のところで一人の女性(A)がそこに集まっている見物の人達にビラを配付している状況が見えた、自分はビラが違法ビラであると思っていたので、配付を阻止しようと思ってAの方に行った、Aは、右地点から一、二メートル南にいった所で道路を西に横切り、『花束』の玄関にビラを投げ入れ、北に向かい、『花束』とモータープールの境目よりやや北にいた三人位の女の人のうち一番南の人にビラを渡そうとした、自分はビラを渡そうとしているそばまで早足で行った、Aのところに近づいて止まった、ビラを渡そうとしているAに、「違法ビラだからまくな」と言い、その女性に「受け取らないで下さい」と言った、Aがビラを渡すのを遮るかたちでビラをはたいた、そのときAは北を向いていた、女の人はAの方を向いていた、自分は南西を向いていた感じである、ビラをはたき落としたら(ビラは落ちた。)、急にAが左の方つまり壁の方にくるっと向きをかえた、かえながら体が低くなるというか、しやがむ、ひざを折る、中腰になる、そういう感じになった、自分はあれっというふうに思った、何故そういう姿勢になったのかとびっくりした、Aは、しゃがむような状態になってすぐに自分のヤッケの前に手を伸ばして(後ろ手で)つかみ、同時に「この男が私に暴力を振るった、逮捕してくれ」と大声で叫んだ、自分はAの体に触れることは絶対やっていない、叫んだのでびっくりしたと同時位に、自分の背中の方から「逮捕せい」か、「捕まえろ」か大声で叫んで男性が飛び掛かってきた(二人はいた感じがする)、自分はその反動で尻餅をつきそうになった、Aはヤッケの前のすそをつかんで、すぐ自分の右腕に思い切りしがみつき、「この男を捕まえてくれ」と叫んだ、自分は体をもがいてAの手を振りほどこうとしたが出来なかった、そのときは人がかたまってくる状態になった。

以上C、D、B、Gの各証言を総合してみると、本事件発生直前の状況は、被告人、D、B、Gは同交差点北西付近で勝共連合の男性とモータープールから抗議に出てきた男性とのやりとりを見ていたが、Aが同交差点南の方で号外を配付し続けているのに気付き、被告人は、これを止めさせようとしてAの方向に近づいていったものであり、したがって被告人が交差点方向から南に向かったものであって、証人Aや同Eの証言するように、被告人がAを追いかけた状況は認められず、『花束』北端付近で被告人がビラを配付して北進してくるAとほぼ対面する形で出会ったものと考えられ、本件暴行直前の事情として述べる被告人の右供述内容とも符合する。そしてこれらの各証言等の中には、被告人のAに対する体当たりの暴行を推測させるようなものは存在しない。

(六)  次に、Aが被告人により背後から突き飛ばされた事実が認められるか否かを検討する。

証人A及びEは、Aが被告人から南に向かって追いかけられた後に本件モルタル壁付近で体当たりされた旨証言するが、突き飛ばされたとは証言していない。ところが証人Fは、ビラを落としたあと体がかわって、かわった瞬間に男の人が突いたように思う旨証言している。しかし、Aは当審でも、弁護人に「念のために聞いておきますが、甲野君〈=被告人〉に手で突かれたとか、どつかれたとか足で蹴飛ばされたとか、そういうことは一切なかったということですね。」と質問を受け、「はい」と答え、被告人の暴行はあくまで背後からの体当たりであって、手で突いたというものではないことを明確に証言している。このように被告人から暴行を受けたと強く訴えているAの立場を見た場合、背後からの行為であるにしても肩甲骨付近を突く行為と、体当たりをする行為とを識別することはさほど困難な事とは思われないにもかかわらず、肩甲骨付近を突かれたという事実を明確に否定している以上、これをもってFの証言する右肩甲骨を突く行為(もっとも同証人は、被告人が突いたとする個所が、右肩甲骨と言ったり、肩ではなく背中の上のほうであったり、肩から上半身と思うと言ったり、前から突かれたか、後ろから突かれたかという質問に対して、思い出せないとも証言していて、証言時の記憶に十分な確実性があるとは言いがたい。)をAのいう体当たりの行為と同一のものと理解することはできない。F証言は、Aは号外をはたかれて、その後瞬時にモルタル壁の方を向いたものであることを目撃して、Fとしては、それが当然何らかの外力(被告人の行為)によるものと思い込み、右号外を払い落とす手の動作の一部を被告人の突く行為の存在であると誤認したのではないかとの疑いを容れる余地が存する。F証言は前記のとおり至近距離での目撃者の供述であり、かつその立場上ことさら虚偽の事実を供述するとは考えられないが、全然予期しない瞬時のできごとを目撃したものであることを考慮に容れると、被告人がAに接近してきて配付しようとしていた号外をたたき落とした時点までの動き(いわば比較的大きな身体の動作といえよう。)とその後Aがモルタル壁に方向をかえた以後の被告人とAの動き(いわば比較的小さな身体の動作といえよう。)とでは同証人の受ける印象や認識に相違があったとしても不自然とはいえない。また同証人は、警察官が目撃者を探して尋ねて来たので南警察署に出頭して、三〇分位待った後一時間半位本事件の事情聴取に応じたものであるところ、被告人がAを突いた部位を聞かれたときには、「胸違うか、背中違うかといろいろ聞かれた」際、「そうですね、そうですねといった」、「そのときは早く帰りたい一心で全部何いわれてもそうですねと言っていた」とも述べ、警察官の事情聴取に際して迎合的に応答した事実を否定していないのであり、この部分に関する同証人の認識、記憶、供述の正確性に疑問の余地なしともいえないとみられる。以上によれば、結局、右F証言をもってしても、被告人がAの肩を突いたという暴行の事実を認めるにはなお合理的な疑いが残るものといわざるをえない。

3  共犯者の不存在について

公訴事実は、被告人がほか数名と共謀して、Aに対し、背後から突き飛ばし体当たりして同女の顔面をモルタル壁に打ちあてる暴行を加えたというのであり、検察官の冒頭陳述によれば、被告人がAの背後から、同女の肩付近を突き飛ばし、その衝撃により同女の顔面をモルタル壁に打ち当て、続いて、氏名不詳者二名もこれに加わり、被告人と共に、同女の背後から体当たりする暴行を加えたというのである。

そこで、この点に関する各証拠を検討する。

証人Aは、自分がモルタル壁前付近で被告人に体当たりされ、壁に体がくっつけられるようにして被告人がぶつかった状態(背中からかぶさるようになっていた)のままでいたとき、二人位の体重が自分の背中にかかってきたように感じた、二人位の人は目に入らなかったと証言し、当審では、弁護人からの「前の証言であなたは、更に二人位が押しつけてきたといっているが………」との問いに「押しつけてきたというふうに言いませんでした。そういう感じがしたということです。」と答え、また「前回と今回のあなたの証言の大きな違いは、前回は、三人の男性があなたのところに近づいて来たと。それから、甲野君を含めて三人の男性が体当たりをした、あるいは押しつけて来た、とこういうことをあなたは前回の証言で言っているんですね。ところが今度は、甲野君一人しか出て来ないんですね。どうしてなの。」との問いに対し、「私は前回も、体当たりをしたのは甲野一人だと言っております。」と答え、その供述の趣旨は明確とは言い難いものの、被告人以外の者による体当たりの事実は否定している。また、証人Eは、追いかけたもう二人は、甲野に続いて体当たりしたと思う、最初に甲野が体当たりしたあと、その二人も同じような感じで体当たりしたと思う、Aは壁にぶち当たったそのままの状態のときである、最初体当たりした男性は横にいたと思う、体は離れた状態でいた旨証言する。しかし、同証人はまた、三人の中の一人(被告人)が体当たりするような感じでAに当たった、Aはよろけて壁にぶちあたってすぐ瞬時に男性を逃がすまいとしてジャンパーをつかんでその後手をしっかりにぎっていた、(男性は)当たった後すぐ逃げようとしたがAがしっかりつかまえていたとも述べ、最初の男性とAとの接触状態の継続と後の二人の体当たり状況の関連につき前後の供述内容が相違し、同証人の供述するところによっては被告人及び他の二人の体当たりの状況を具体的に理解するのは困難である。Aに体当たりを加えた被告人以外の共犯者の存在を明確に証言するのは同証人のみであるが、その証言内容自体前後矛盾していてそのまま信用することができない。他方、A、C、D、Gの各証言並びに被告人の原審及び当審における供述によれば、Aは、モルタル壁に向かった後、即座に被告人の上着を手でつかんで、被告人をつかまえたことが認められ、このような状態は、右E証言にいう、他の二人の体当たり行為の存在とは相容れ難い事実であることは明らかであり、この点からも右Eの証言は信用することができない。A自身、原審で、体当たりをした人物が被告人以外に二人いたことを証言するのではなく、押しつけられたときの重量感として表現しているのみで、このことは同人の当審における右証言でも明らかである。従って、公訴事実にいう被告人と他の者による暴行の共謀事実はもとより実行共同正犯者の存在をさえ認定することはできない。

4  Aの受傷の事実について

医師家出清章作成の診断書、司法警察員作成の写真撮影報告書及び原審証人家出清章の証言によれば、本事件後の昭和五四年四月七日午後四時五〇分ころ、右医師家出はAの顔面の創傷を診察し、顔面打撲擦過傷(五日間程度の通院加療予定)と診断したことが認められる。また原審証人Aは、右傷害が被告人から『花束』の本件モルタル壁付近で体当たりをされ、右モルタル壁に顔を打ちつけたことに起因するものである旨証言する。

ところで、原審証人太田伸一郎の証言及び同人作成の鑑定書によれば、Aの顔面の傷害は概ね五か所(〈1〉前額部、〈2〉左鼻根部、〈3〉左頬部、〈4〉同、〈5〉口唇左上部………同鑑定書添付図の〈1〉ないし〈5〉に各対応する。)に分けられ、〈1〉及び〈3〉ないし〈5〉はいずれも擦過傷であり、〈2〉は浅い挫創であり、〈1〉及び〈3〉ないし〈5〉はざらざらした面を有する鈍体で生じたことが考えられるが、〈2〉はその他の傷害とは成傷物を異にすると考えられるというのである。ところで右証人Aは、被告人の体当たりにより、本件モルタル壁(その形状は、司法警察員作成の昭和五四年四月二三日付実況見分調書及び昭和六三年六月六日付当審の検証調書によれば、『花束』の北東角に位置し、建物本体部分から道路の側溝部まで東西に奥行き約四〇センチメートル、幅一〇センチメートルの突き出た風よけの壁の部分であり、地上五五センチメートルまではタイル張り、それより上部はセメントで表面はざらついた上塗りがされている。但し稜角部分はやや平滑な面に整えられている。)の地上から約一三〇センチメートル付近の稜角部分に、自分の鼻の左脇(額と頬)が当たりそのまま奥行きにずれるようになったこと、あるいは額と鼻と頬と鼻の下脇の部分がぶちつけられた(なお同証人の身長は一六〇センチメートルである。)旨証言する。右鑑定書及び太田証言によれば、〈1〉及び〈3〉ないし〈5〉の擦過傷は擦過方向に違いがあり、これを考えるとAが証言するような顔面とモルタル壁との一回の接触によって生じたとするには疑問が存し、また右〈2〉の左鼻根部の挫創は、同部位が顔面中、周辺部位から一段と窪んでいる個所であることからAが証言する顔面と本件モルタル壁の稜角部分との接触によって生じたと考えるには無理があるとされるが、その鑑定方法及び経過に照らし経験則上疑問を抱くべき点は見受けられず、措信することができるものと思料される(ことに本件モルタル壁の稜角部分は、子細に見れば他の壁面部分に比し、やや平滑に整えられていることが認められるので、同モルタル壁の稜角部分との接触により左鼻根部に〈2〉のような挫創が生ずるのは一層困難とも考えられる。)。もっともAは当審第五回公判で、壁にぶちつけられて、その後ずり下がるように、うずくまるようになったから、右モルタル壁下方にあるタイル部分の角(尋問の際示された当審の検証調書添付の検証見取図第二図によると地上約六一センチメートルの位置にある。)に当たったのではないかと思う旨証言するが、同証言は右鑑定等の結果で左鼻根部の挫創に関する成傷物を右モルタル壁の稜角部分とすることに疑問があるとされ、原判示でもその成傷原因がAの手指の爪による可能性を指摘された後のものであることに加え、原審公判では、モルタル壁に打ちつけられたのは一回であり、体当たり後壁に体がくっつけられるようにして被告人がぶつかったままの状態でいたことや、地上一三〇センチメートル位の高さの部分に当たったことを証言し、また事件翌日の昭和五四年四月八日に実施された実況見分にも立ち会い、地上から右同様の高さのモルタル壁部分(しかも稜角部分からややはずれた奥行き部分の壁面)を接触個所と指示していることと対比すると、当審での右証言は信用し難いといわざるをえない。

また、Aは被告人に体当たりされた際、左足の脛もモルタル壁角に当たった、その傷はずきずき痛み、その痛みがとれるまで五、六週間を要した、サロンパスを貼っていたが何日か経過しても痛みがとれず、思ったよりはれあがってきたので医者に行った、顔の傷を受診した際申し出なかったのは、女性として恥ずかしい気持ちがあったからと証言する。しかし、前記のように被告人から暴行を振るわれたとして、衆人環視のなか大声を出して被告人の逮捕を求めたAが、被害事実を裏付けるためでもある前記医師診察の際(スラックスを着用していたとしても)、しかも相手は医師であり、当然看護婦も付き添っていると思われるのに脛の部分を見せることが羞恥のためできなかったという理由はいささか理解に苦しむところであって、この点も受傷の成因について疑問を抱かざるをえない一因である。

更に原審及び当審証人武矢信一は、当時大阪府南警察署刑事課に勤務する警察官であり、本事件発生により現場に出動し、勝共連合構成員と赤旗宣伝隊の者が団子状態で入り組み、その中でAが両腕で被告人の腕をつかんでいる状態のところに臨み、被告人からAを引き離し、被告人を南警察署に連行して行ったものであるが、現場においてAの顔面に傷害があった(前額部と左側鼻骨の辺りから左頬にかけて新しい感じの擦り傷があり、血がにじんで流れ出るような状態で、すぐ目についた)旨証言しているところ、これに対し被告人及び証人C、D、B、Gの各証人は現場においてAの顔面に傷害は存しなかった旨供述または証言し、両者の言うところは相反している。ところで証人武矢は、大宝寺交差点南東角オリタクロージング前路上で被告人を準現行犯逮捕した(右Aと被告人を引き離すときに逮捕する旨を告げた)、南警察署に被告人を連行して行く際被告人の抵抗はなく、赤旗宣伝隊からの抗議もなかった旨証言する。しかし、被告人及び付近にいて被告人が武矢と南警察署に行く状況を見ていたBは、武矢が逮捕する旨を被告人に告げたことはなく、被告人は武矢に違法ビラを取り締まれと訴え、事件の事情説明をするということで同署に同行することとし、Bも一〇メートル位遅れて歩きはじめ同署に行った旨、右Gも現場では逮捕ということは全くなかった旨それぞれ証言し、被告人は、同署内で、相手の女性が被告人から暴力を受けて怪我をしたとの訴えがあったので現行犯で逮捕すると告げられ、驚いて弁護士事務所に連絡してくれと言った後は一切黙秘した旨供述する。本件逮捕の適否はともかく逮捕時点の状況を考えると、右のように現場における勝共連合構成員と赤旗宣伝隊員の熾烈な対立状態が沈静化しないうちに、自己の行動の正当性を確信し、主張し、Aらの号外配付行為の違法を訴え、暴行事実を認めなかった被告人が、その場で自分だけ逮捕され警察署に連行されることになったとすれば、右武矢証人も認めるような平穏な状態で被告人がこれに応じ、また周囲にいた赤旗宣伝隊員が特別な異議も申し立てなかったことは到底考えがたいところであり、仮に武矢自身としては被告人を逮捕したとの認識を有していたとしても、果たしてその点が被告人らに明瞭に覚知しえた状況であったか否かは必ずしも分明でなく、しかも本件犯行現場でのAの受傷の有無が同所における被告人逮捕の適否に密接に関係する事柄であることにかんがみると、このような曖昧な状態のまま被告人を南警察署へ連行したこと自体、武矢がAの受傷を明瞭に確認したうえでの行動であったと断ずるにはなお疑問なしとしない。

また、証人Aは被告人が警察に行った後自分も警察官と一緒に南警察署に行った、途中勝共連合の事務所に寄っていない旨証言する。しかし、証人Eは、事件後Aに勝共連合の事務所で会ったが、Aの額、鼻、頬の個所がすりむけて血がにじんでいた、自分が事務所に入っているところへAが来た、自分はAの最初から最後まで見ているので警察署へ証言しに行った、Aは事務所に残ったと思う、その後四月七日はAと顔をあわせてはいない旨証言する(なおAは、当審で事件当日、勝共連合の事務所を出て以後同日はEを見ていないと供述するが、措信しがたい。)。右の点におけるAとE両供述の相違は明らかであり、Aを南警察署に同行して行った人物も不明であり、Aのこの点に関する供述内容は措信することができない。右診断時存在したAの顔面の傷害の成因を究明することはできないが、少なくとも本事件以外に成傷の機会が存在する余地がないと断定することはできない。

以上検討したところによれば、Aが前記家出医師により顔面打撲擦過傷と診断された傷害が本事件の際被告人の行為により生じたと認定するには数々の疑問が存し、合理的な疑いを容れる余地がないとはいえない(なお、右〈1〉ないし〈5〉のうちその一部に限り、本事件による傷害であると認めることは、Aが自己の受傷が本事件以外に存する可能性を認めているわけではなく、従ってその一部に対する成傷の原因について疑問が存する以上、その残余の傷害のみを認定することは事案の本質上許されないものと解する。)。

三  結論

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五四年四月七日午後四時一〇分ころ、大阪市南区〈住所省略〉所在料理旅館『花束』前路上において、ほか数名と共謀のうえ、A(二四歳)に対し、背後から突き飛ばし体当たりして同女の顔面等を路傍のモルタル壁に打ち当てる暴行を加え、よって同女に加療約五日間を要する顔面打撲擦過傷の傷害を負わせたものである。」というのであるが、原審及び当審で取り調べた関係証拠を総合しても合理的な疑いを容れる余地のない程度に証明されたとはいえず、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 近藤 暁 裁判官 梨岡輝彦 裁判官 片岡 博)

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